【連載 第1章】なぜ私たちは「人間力」で勝てると信じたのか?〜私からセブン-イレブンへ、24年分の愛と感謝を込めて〜

コンビニ経営論

はじめに:これは「決別」ではなく「自立」の物語

最初に、はっきりと言わせてください。 私は、セブン-イレブンが大好きです。

24年前、右も左も分からない脱サラ素人だった私に、商売のイロハを叩き込み、家族を養い、飯を食わせてくれたのは、間違いなくセブン-イレブンという偉大な看板です。 そのことへの感謝は、言葉では尽くせません。

これは私の「片想い」かもしれません。 それでも、私はセブン-イレブンにはいつまでも最強の王者でいてほしい。 だからこそ、私たち加盟店は「本部に寄生する」ような生き方をしてはいけないと思うのです。

本部は変わらなくていい。今のままで十分強いのですから。 生き残るために変わらなければならないのは、私たち「加盟店」の方です。 この連載は、愛するセブン-イレブンと共に次の時代を生き抜くために、私が選んだ「変化」と「覚悟」の記録です。

プロローグ:四半世紀前の「世界最強」

今から24年前。2000年代初頭のことを、皆さんは覚えているでしょうか。 ITバブルが弾けた直後。世の中にはパソコンやインターネットが普及し始めていましたが、現場の実務においては、まだまだ「デジタルの力」よりも「人間の汗と涙」が圧倒的に信じられていた時代です。

当時、私はこの世界に飛び込みました。 あの頃のセブン-イレブンは、間違いなく「世界最強の小売業」でした。

POSデータ、単品管理、仮説検証。 メーカーや他の小売業が喉から手が出るほど欲しがる「消費者のリアルなデータ」を、私たちは持っていました。 「20代の男性が、雨の日の深夜2時に、このおにぎりと缶コーヒーを一緒に買った」 そんな事実がデータとして可視化される衝撃。それは、商売の常識を根底から覆す革命でした。

しかし、当時の私たちがシステムに「使われて」いたかというと、答えはNOです。 当時のシステムはあくまで「武器」であり、それを振り回すのは生身の人間だったからです。

鈴木敏文氏の予言「富士山型から茶筒型へ」

当時、セブン-イレブン創業者の鈴木敏文氏が盛んに言っていた言葉があります。

「これからのヒット商品は、富士山型から茶筒型に変わる」

どういうことか? かつてのヒット商品は、口コミなどでじわじわと人気が出て、時間をかけて頂点に達し、またなだらかに売れなくなっていく「富士山」のような形をしていました。 しかし、情報化社会が進むこれからは違う。 発売日がピークで、そこからストンと売上が落ちる「茶筒」のような形になる、という予言です。

これは現場に対して、**「商品の鮮度を一瞬で見切れ」**という強烈なメッセージでした。 悠長に構えていたら、商品はあっという間に死に筋になる。 だからこそ、私たちは必死でした。 明日の天気は? 近所の運動会は? テレビで紹介された商品は? あらゆる情報をかき集め、「明日はこれが売れるはずだ!」と仮説を立て、発注という名の勝負に出る。

このヒリヒリするような緊張感こそが、当時の私たちの飯の種であり、商売人としての「誇り」でした。

「カリスマオーナー」という麻薬

そして、その仮説がズバリと当たった時の快感は、何物にも代えがたいものでした。 読み通りに商品が飛ぶように売れ、棚が空っぽになる。 レジの売上高が跳ね上がる。

「オーナー、すごいですね!読み通りです!」

従業員たちは、私をまるで予言者かカリスマかのように崇めてくれます。 自分の采配ひとつで、店が動き、数字が変わる。 この「全能感」こそが、私を24年間突き動かしてきた原動力であり、同時に最大の「麻薬」でもありました。

そう、私たちは勘違いしていたのです。 「システムが優秀だった」のではなく、「俺たちが優秀だから勝てているんだ」と。

成功体験が強烈すぎると、人はそこから抜け出せなくなります。 時代は確実に変わり、鈴木氏の予言通り「茶筒型」のサイクルはさらに短く、シビアになっていきました。 それなのに、私たちはいつまでも「俺の勘」と「現場の人間力」だけで戦い続けようとしてしまった。

次回、第2章。 そんな私たちを待ち受けていた、残酷な現実についてお話しします。 本部は「売上」を求め、私たちは「利益」を守らねばならない。 愛する本部と寄り添うことはできても、決して交わることのない**「小売業の3つの数式」**の正体に迫ります。

(続く)

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